ついに同居(育児問題)で壊れました…今は実家で療養中の主婦の、日々のココロや出来事を綴ります。
11月の憂鬱=私の大事な過去
私が高校生のときに、大事な友人が、死んだ。
その友人の誕生日は、11月23日。休日法が改正されても、この日は未だ、祝日のままだ。
友人が死んでから11月20日生まれの2子が産まれるまで、私は、この時期が憂鬱だった。
後悔が毎年、私を襲ったからだ。

中学の同級生だった彼は、私のことをえらく気に入っていつもちょっかいを出されていた。その当時付き合っていた彼との仲もよく冷やかされたし、デートをすると必ず遭遇。しばらくしてから私が転校することになり、彼氏とは別れたけれどその友人の彼とは連絡をし合っていた。
高校に入学する前に、突然告白された。
今考えると当たり前でしょー!!という流れだけれど、当時の私には、本当に、突然だった。
人付き合いがよく、結構人気者だった彼。
でも私の好みじゃなくて。
それに、友人として仲良くしていたという印象が強すぎて。
「冗談はやめてよ〜〜!」とはぐらかすと、これまた突然のキス。
私の記憶する限りのファーストキス。
優しくて、でも力強くて、決して離さないというようなキス。
「悪かったよ、でもゆっくり考えてよ、俺のこと。ほかのやつを好きになってもいいしさ、でもおまえはきっと俺のこと好きになるよ。待ってるから」
無理矢理私から引き離したキスの後、彼はそう言った。そして、私に背を向けて手を高く振った。

連絡はよくくれた、以前のように。
でも、会う機会はそんなに多くはなかった。
しばらくして彼は親の仕事の都合で、サンフランシスコへ。
週に一度ほど、5分くらいの国際電話。それもだんだん回数が減り。
高1の冬、私は片思いのクラスメートに玉砕。その他3人にも玉砕。
高2の初秋、同じ部活の後輩と結ばれ、こんなにときめく経験はしたことがないと思っていた矢先に、突然の彼の死亡報告がくる。

彼は、航海士になるのが夢だった。
船で世界中の国を回る客船の船長。
それは並大抵のことではなれない職業だ。でも、彼には似合っていた。その夢はとても、似合っていたのだ。
私はそんな彼の話を聞くのが好きだった。夢と希望にあふれた彼の話を聞いていると、自分もドキドキ、ワクワクしていた。
でも彼は、17歳の生涯を終え、夢を叶えることはなくなった。

それからの私は何をしているのかよく分からなくなった。
ただひとついえるのは、彼が死んで、通夜で遺体を見ても涙も出なかったこと。悲しいのに、さびしいのに、辛いはずなのに、涙なんて一滴もでなかった。

彼のお母さんは葬儀の後言った。
「あの子は、いつもあなたのことを嬉しそうに私達夫婦に話してくれたんですよ。あなたを見てると、声を聞くと元気が出るって。でもあなたにはお付き合いされている方もいらっしゃるんでしょう?迷惑だからやめなさいなって言った事もあります。でも、そういう関係じゃないんだって、恋愛とかそういうことじゃないんだって、嬉しそうに笑うんですよ。あの子と友人でいてくださって、本当にありがとう。私達もまさかこんな早く…」そして泣き崩れた。

『恋愛とかそういうことじゃない。』

この言葉は、私に人生の宿題を与えた。
好きって、恋愛のことでしょう。相手のことがすごくすごく好きで、夜も眠れないほど好きで、声を聞いたり手をつないだりすると心がキュンとして苦しくって、でも嬉しくて…
そうじゃないなら、どんな関係なんだろう?

彼とは同じ道には進むつもりはないけど、私は海が好きだった。だから大学は船に乗れるところへ行ってみた。船に乗って、いろんなものを見て、体験して、何か彼と同じものを感じられることがあればと思ったからだ。
でもそれは分からなかった。船に乗っただけじゃ、海が好きなだけじゃ分からなかった。
学生時代も何度も恋愛をした。修羅場もあった。苦しさにさいなまれることもあった。
そして今の主人と結ばれた。


本日の出来事

大年寄、10時過ぎ頃何処かへタクシーで出掛け、お昼をご実家で頂戴し、14時過ぎに送ってきてもらった。勝手だ。
小年寄、通常勤務
子供達、風邪が蔓延!?
主人、単身赴任勤務
自分、体がすっきりしない…

クリックよろしくです!
クリックよろしくです! 今の主人は、お互いもともとタイプではないしクラブの同期なだけであって、大体初めて顔をあわせた日に私は「年ごまかしてんじゃないの!?」といい、主人は「ウルセー女…」と言った。最悪の印象から始まった付き合いだ。
家が近かったわけでもない。クラスもまったく違ったし。
でも、好きでもないけど嫌いでもなく、よく一緒にいたことだけは確かだ。
だから私の学生時代の男性暦はほとんど知っている。恥ずかしいことや、親には絶対言えないことなんかも、知っている。
私も主人のことはよく知っている。だってほんとうに、よく一緒にいたのだ。趣味だって好みだって違うし生活習慣だって違うのに(主人は夜型だったし、私は日中型だった)。

私は、居心地がよくて甘えていた。愚痴も嫌な顔せずに聞いてくれたし、文句はあまり言わないし。
主人は、私が食事とかに嫌な顔しないで付き合うので誘いやすかったそうだ。うるさいのは我慢していたそうだが。

お互いを男女として意識し始めたのは大学4年の後期ごろ。卒論が忙しくなり、会う機会が少なくなった頃だった。私は当時付き合っていた社会人の先輩との限界を感じ始めていて、主人は入学当時から大好きな彼女とうまくいかなくなっていた。
そして主人と彼女の破局。夜更けの電話で間違いなく酔っている。
「何かあったの?」「彼女とダメになっちゃったぁっ!周りにもダメだと思うよって言われてたけど、でも俺の気持ちを分かってもらえればと思っていたけどダメだったよォ、エヘへへ…俺じゃあダメなんだってェ。」
泣いてないけど、泣きたいのかな、って思った。
チャリを飛ばして主人の家へ行った。すっごく飲んでた。まあヤケ酒に付き合おうと覚悟を決めてつきあった。
相当飲んだ挙句、主人は「少し抱きしめてくれないか?」と言った。私は思わず「うん。」と言って主人の肩と頭を抱きしめていた。主人はそれから長い間泣き続け、その後「彼女の代わりに抱きしめてもいいかな?」と言って私をきつく抱きしめた。そして泣いたまま一緒の布団で眠りについていた。
翌朝は迷惑かけてゴメン、ヤケ酒に付き合ってくれてありがとうと、二日酔いながらもいつもの主人だった。私達はそれを機にまた一緒にいることが多くなった。ゼミが忙しくても夕飯を一緒に食べたり、お互い暇が空いたら一緒に飲んだり、ドライブに行って近況報告したり。
私は主人のことが大きな存在となり、付き合っていた先輩とは別れようと決心した。でも一人で先輩と話をする勇気もなく、主人に理由は告げずに一緒にいてもらうことにした。でもことを起こす前に先輩の方から別れ話の電話が…一緒にいた主人は別れ話と察し身振りで「帰るよ」を連発していたが、私の手は主人を引き止めていた。そして先輩と別れたその日、どちらともなく求め合い、主人と結ばれた。とにかくお互いに触れたかったのだと思う。今までにない充足感だった。

それでも「彼」のことはずっと引っかかっていた。
本当は私は、彼と結ばれるべきではなかったのか、と。
なぜ彼のことを拒んでしまったのかと。ひたすら後悔した。

主人と結婚し、子供が生まれてからもそれは思っていた。幸せな毎日の中の一筋の影。
2子の妊娠が判明したとき、主人は、喜んだ。もともと子供嫌いの主人、1子のときは嬉しくなさそうだったのだ。
しかも陣痛が始まったときにちょうど家におり、医院へ送ってくれてそのまま立ち会わされてしまった主人。しかも私は頭の中で「あと3日で彼の誕生日だ、決して歳をとることのない彼の。そして私は主人との二人目の子供を産もうとしている…」などと考えており、ややブルーだった。
2子は、安産だった。しかも一番最初に主人が抱いてくれて、期待していた性別ではなく、立会いも血を見るのが苦手なので断固拒否していたにもかかわらず、満面の笑みを浮かべて「お疲れ様」と言ってくれたのだ。
その後は、やれ自分の手にお前の手形がついただの、立ち会い始めちゃったら嫁が苦しんでいるのに出るに出られないだろうと看護婦さんを非難したりと、文句タラタラだったけれど。

私のいる場所は、ここで間違いないんだ。
そう思ったんだ。

それは、彼 のおかげであり、主人のおかげであり、2子のおかげであるのだ。
それ以来、11月の憂鬱はピタリとおさまった。

年とったらボケてまた出てくるかもしれないけれど。

自分の居場所が分からないと思っている皆さん。
こんなきっかけで、私は自分の居場所を確認することができました。
なので私は、彼のことを決して忘れないようにしようと思います。
そしてもっともっと主人と愛し合いたいと思います(ムリ!?)。
2006.11.21 Tue 22:56:20 | 未分類| 0 track backs, 0 comments
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